「明柳書房」

台湾でひっそり隠栖中

哲学

イスラム教の神秘主義哲学「スーフィズム」02 バグダートのスーフィーとシーア派との関係

投稿日:

まだ大学生だった1999年に作ったホームページに載せていた稚拙な文章ですが、再掲載します。

バグダードのジュナイド

バグダードで活動したアブー・カシム・ジュナイドはスーフィーたちの真の導師だった。

彼は数多くの神秘主義的イスラームの著作を残して、霊的体験の分析に力を入れている。

ジュナイドは、その教えの中で、サフウ(醒めていること)の重要性を強調し、バスターミーのスクル(霊的陶酔)に対置した。

ジュナイドは個人を無化する神秘的な体験の後で、そこから帰ってくることを重要視したのである。彼にとっての最終的目標は「無化」ではなく、神における新たな生・バカー(永続するもの)であった。

ジュナイドと禅

ジュナイドのこの考えは、禅にも通ずるところがある。禅でも人境倶奪という主体(人)と客体(全世界)が融合した境地から人境倶不奪という、すべてが元のように分かたれている現象世界に戻ってくることを最終目標としていたからだ。

神秘体験は理性では判断できず、普通の言葉では表すことが出来ないと考えたジュナイドは、イニシエーションを受けていないものたちに神秘体験を語ることを弟子に対して禁止していた。

ジュナイドの著作も一種の秘密の言語で記されていて、普通の者には理解不能なものとなっていた。

ジュナイドの弟子・ハッラージュ

ハッラージュ(=フサイン・イブン・マンスール)はジュナイドに師事していたが、ジュナイドのこの禁を破り、破門されることとなる。一般のムスリムたちからだけでなく、スーフィーの間からも孤立してしまったハッラージュはスーフィーたちにも憤りを示している。

中国まで至るハッラージュとその弟子

ハッラージュは弟子たちを引き連れ、2度のメッカ巡礼を行った後、インド、トルキスタンを経て中国国境までおよぶ長い放浪のたびに出た。その後3度目のメッカ巡礼を終えた後は一般大衆に向けた教説を重視するようになった。

彼の教説はおよそこのようであった、「すべて人間たるものの求むべき究極の目的は神との神秘的合一であり、それはイシュク(愛)によって実現できる、そしてこの合一の中では信徒のなす行為は完全に聖化され、神化される。」そして彼はその神秘体験の中で、言ってはならない一言を言ってしまった、すなわち「我は真理(=神)なり」という言葉である。

最後の預言者であり、イスラームの創始者・ムハンマドも『ハディース(ムハンマドの言行録)』のなかで自分自身を「普通に市中を歩き、ものを食らう」一人の人間であり、自分を神聖視することを厳しく戒めている。

ハッラージュのこのイスラームを根本から破壊しかねないような言葉は当然彼を窮地に追い込んだ。

汎神論者として処刑されたハッラージュ

ウラマー達からは汎神論者として排撃され、政治家からは大衆を煽動したかどで断罪される。

スポンサーリンク

しかしハッラージュは激しい非難の中、一切自説を曲げず死ぬことすら厭わなかった。ハッラージュは逮捕され獄生活の後、処刑されることになるが、イーサー(イエス・キリスト)の十字架上の死にも比させる、あまりに悲愴でドラマティックな彼の殉教は民衆から賞賛され、その評判は全イスラーム世界に広まったという。

ハッラージュの殉教の後、スーフィーたちは自分の教説を公にし、自分の教説がいかに正当であるかの弁明を始めた。

ガザーリーとルーミー

ガザーリーはスーフィズムをすべての信徒が学ぶべきものだと主張し、多くの著作をしるし、スーフィズムを広めた。

またルーミーというハッラージュに深く影響されたスーフィーは多くの詩文学を書き、その詩は広くイスラーム世界で読まれただけでなく、翻訳されて中国やインドにまで広まった。

ここにおいて、ウラマーたちもスーフィズムを認めざるを得なくなり、スーフィーは、正統派イスラームに受け入れられたのである。

「聖者」と見なされたハッラージュたち

後にハッラージュを始めとするスーフィーたちはワリー=聖者と見なされるようになるが、実は聖者(SAINT)というのは正確ではない。

ワリーというのはワリー・アッラー、すなわちアッラーと親しい関係にあるという意味である。スーフィーの中には聖者(SAINT)と呼べるような者もいたが、ほとんど狂人のような者も居たという。そしてそのスーフィーをシャイフとし大小さまざまな「修道団体」が生まれた。

民衆はそのシャイフを尊敬するあまり、亡きシャイフの墓に参詣してアッラーとの間のとりなしを恃んだり、現世利益を祈ったりしている。しかし、これはイスラームの大原則、偶像崇拝の禁止に抵触するのではないかということで現在でも議論の的であるという。

現在スンナ派がムスリムの9割を占め、シーア派を大幅に上回っているのは、スーフィーの宣教精神と民衆的人気あってのものと言われている。

また言わばダブルスタンダードであるウラマーとスーフィーとの内的な緊張も、スンナ派が世界史的にダイナミックな動きをするのを助けたに違いない。

イジュティハードを禁止しなかったシーア派の思想はスーフィーたちの思想と似通っていた。

シーア派第一代、イマーム・アリーとスーフィズム

シーア派第一代、イマーム・アリーは「ロウソクを吹き消すがいい。もう夜が明けたのだ」、つまりアッラーが直接顕現してしまった以上、もう認識主体としての自我には用はないという言葉を残した。この言葉は宗派の違いを超え、スーフィーたちは好んで引用したという。

ではなぜシーア派は退潮してしまったのだろうか。

それはワリーをほとんどムハンマドの家系という先天的な理由だけに絞り、イマームとして崇拝してしまったからではないか。

スーフィズムとシーア派との違い

スーフィーの場合はイマームとは違い、人は生まれや家系によって先天的にワリーであるのではなく、修行によって誰でもスーフィーになれる可能性を持っている。そして、イマームが第12代で途絶えてしまった現在、シーア派が国民の多くを占めるイランは混迷を続けている。

このようにスーフィズムはイスラームの歴史に多大な影響を与えてきたが、現在においてもスーフィズムが要請されているように見える。

シャリーアで固定されてしまっているイスラームは、トルコなどシャリーアを捨て去った地域を除き近代化に乗り遅れてしまった。

その歪がナショナリズムや原理主義的なイスラームを生み同時多発テロ、それに続くアフガニスタン空爆などを引き起こしている。

しかし、以上例を挙げて示してきたように、スーフィズムにはキリスト教神秘主義や禅との親和性がかなり強い。やはり宗教は違えど、いちど突き抜けてしまった人の行き着くところは同じなのだろう。スーフィーたちは貪欲に世界の諸思想を取り込みイスラーム化してきたが、これからその役割はますます重要になるだろう。

-哲学
-

Copyright© 「明柳書房」 , 2017 AllRights Reserved.