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仏教 美術

京都・東寺と空海の美学 - 日本的な美の自覚 -

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まだ大学生だった1999年に作ったホームページに載せていた稚拙な文章ですが、再掲載します。

東寺(教王護国寺)、正式には金光明四天王教王護国寺秘密伝法院というこの寺院は、真言宗東寺派の総本山であり京都市南区九条大宮西に位置する。

東寺の沿革

東寺は平安京遷都にあたり、桓武天皇の勅命により延暦15年(796)羅城門の東に西寺とともに創建された。

西寺はその後消失してしまい、京都は御所をはじめとして大部分が東方へずれてしまったが、東寺は創建当時の場所に残り、史蹟に指定されている。

弘仁14年(823)正月、嵯峨天皇は東寺を空海に勅賜し、空海は東寺を真言宗秘密道場として造営を始める。

東寺にこめられた空海の思想

東寺は古代インドのアショーカ王以来の伝統に従って、法によって人々と国家の平和が守られ、それぞれの思想が共に侵さず共存していく原理を見出し、伝えられるようにとの空海の願いが込められているという。

東寺の伽藍は南大門を入って金堂・講堂、少し隔てて食堂が一直線に置かれ、左右に五重塔と灌頂院が配置されている。

堀で区画された境内はそのまま曼荼羅であり、我々は東寺から様々なメッセージを汲み取ることができる。

東寺と高野山の役割の違い

空海は「祈りなき行動は妄動であり、行動なき祈りは妄想である」との信念を持っていた。

そのため、高野山金剛峰寺を自らの修禅の場として開き、そこで得られた智慧を利他行として京都・東寺で実践した。

高野山金剛峰寺と京都東寺は、二つであって二つでなく両者は一体(不二)である。

東寺創建を以て、空海の理想は正に実現したと言えよう。

東寺の建築様式

東寺の美しさは、その純和風の建築様式にある。空海は遣唐使として、当時最大の国際都市であった長安に留学した。

長安には唐の建築様式はもちろんのこと、ネストリウス派キリスト教の影響でギリシア風、ゾロアスター教の影響でペルシア風など当時、世界屈指の建築様式が結集していた。

しかし唐から帰還後に創建した東寺には不思議なことに、その影響は微塵も見られない。それは何故なのであろうか?

私は空海が意図的に、それらの異国的な様式を入れなかったのではないかと思う。空海は様々な文化との出会いのなかで、「日本的なるもの」の元型を模索し続けていたのであろう。その精華が東寺という建築には溢れているように思う。

東寺の堂塔伽藍は壮大・荘厳でありながら、あくまで優美である。大師堂のゆるやかな勾配の総檜皮葺きの屋根はその優美さを際だたせている。

東寺には中国の建築にあるような大仰さ、人を威嚇するようなところは一つもない。親しみ深く、我々日本人に憧憬を与えてやまない。

日本的な美を見いだした空海

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真の国際人であった弘法大師空海は、様々な文化との交流のなかで、日本の美しさを初めて自覚して見出した人であるといえよう。

毎月21日には、「弘法さん」という空海の命日に催される京の風物詩がある。

広い境内には千軒以上の露店が並び、20万人以上の人手で賑わう。

これは民衆の空海に寄せる親しみ深さ、信頼を表していると言えるだろう。

また、東寺は平安京以来1200年の間に戦火、台風、雷火等の災害を受け、堂塔を幾度も消失してきたが、その都度すぐに民衆の力によって元の姿に再建されてきた歴史がある。

人々も異文化との交流の中で、ともすれば見失ってしまいそうになる「日本の元型」を守ろうとしている。







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