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曼荼羅イコノロジー 1 「曼荼羅とは何か」

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まだ大学生だった1999年に作ったホームページに載せていた稚拙な文章ですが、再掲載します。

曼荼羅《マンダラ》とは、空海をはじめ密教の思想を象徴的に視覚化したものです。

言語表現では困難な思想を可視的に図画を以て表現したものであるとされています。

曼荼羅の語源

「曼荼羅《mandala》」は古代インドのサンスクリット語を音訳したもので「心髄を有するもの」という意味を持っています。

心髄とは宇宙の本質的なものであり、根本原則とされます。

曼荼羅に描かれたものは末端に至るまで、一見どんなにつまらなく見えるものでも、すべてに意味があり捨て去るべきものは何一つ無いとされます。

曼荼羅の中には異教 (ヒンドゥー教、道教など)の神や人、悪鬼羅刹、餓鬼までもが描かれていますが、それらはすべて余すところ無く、時間的限界、空間的限界を超えて世界を貫いている真理を人格化した大日如来に他ならないというのです。

すべてのものは原因と結果、つまりは因果律によって生じますが、因果律をさかのぼっていくと最後は因果律のないところへ至ります。

大日如来というのは因果律の根源にある本来不生なもの、もはや何ものからも生じたものではなく、生じもせず滅しもしないもの、増加もせず減少もしないものです。

胎蔵界曼荼羅が象徴する世界

胎蔵界曼荼羅を見てみると中央に描かれた真理の人格化された存在である大日如来は、順に周辺に向かって放射状に波及しています。

また逆に外周部の神や人、悪鬼羅刹、餓鬼などは、内なる大日如来に求心的に収束しています。

この順と逆の逆対応の流れは、現象世界のすべてのものは突き詰めればすべて同じ、なんの差別もなく、因果律を越えた大日如来に他ならないことを示しています。

このように曼荼羅は夾雑物を一切排除して、純粋性を追求していくのではなく逆に多くの異質的要素を包含しながら、しかも全体的には高次の価値観によって調和して成り立っている世界をシンボライズしています。

曼荼羅における部分と全体

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曼荼羅に描かれた部分は、あくまで全体性が反映された一部であって、部分には世界の全体がそのままたたみ込まれており、部分と全体とは表裏一体のものです。

つまり世界の一部を取ってみればそこには世界の全部が余すところ無く宿っているという思想が胎蔵界の曼荼羅からは読みとることができます。

曼荼羅では、部分である実在的存在は常に全体性として表現されます。しかし、全体性は現象世界の中に具体的に投影するときに、自己限定ともいうべき個別化が成されます。部分は全体の中からある機能を特化させたものともいえます。

どのようなタイプの曼荼羅にせよ、世界に存在するすべてのものは結局、すべて同じものであるけれど現れ方が異なるので差異が認められるに過ぎないという思想が重要なテーマとなっています。

金剛界曼荼羅の構造が表す世界

また、金剛界曼荼羅からはフラクタル構造を見出せます。フラクタル構造というのは一定のパターンが入れ子構造になって全体を構成する構造のことです。

この構造の特徴は単純な規則の繰り返しで複雑な図形を作ることができるということです。

金剛界曼荼羅から一つの原理から世界の多様性が生じ、またすべての世界の多様性が、一つの原理に帰一するといった思想を至る所に見出すことができます。

これは四つの塩基から生命を説明するDNAや「光速度は観測者の如何に関わらず一定である」という一つの基本法則から他のすべての法則が演繹されるというアインシュタインの相対性理論にも通ずるものがあります。

金剛界曼荼羅は現象世界に存在している個々のものに差異が現れてくるのは個々の物の本質が異なるのではなく、組み合わせが異なるに過ぎないことを示しています。

中国で統合され、両界曼荼羅となる

これらの二つの曼荼羅は本来出自、成立年代が異なるものでしたが中国の唐代に空海の師の恵果によって中国の陰陽二元の思想をもとに再整理され一対のものにされました。

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